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アヤ・ソフィアの工事現場を見てからアヤ・イリニ、イスタンブール、8月29日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・今日は昼前にホテルチェックアウトするので、イエディクレ城塞を見たのちは、早速ホテルへの帰路をとることになる。
 出発駅のシルケジ駅の1つ手前の「ジャンクルタラン駅」で降りて北西に向かい、徒歩でアヤ・ソフィアの後ろ(アプス)を通って帰るコースをとった。
 アヤ・ソフィアの後ろから右に回り込んで横手に来ると、修理工事をしているの部分に出た。工事関係者の門の外からしばらく現場を見ていた。建物のバットレス(支えの役割をもつ控え壁)が厚い。

・土産物屋の通りを抜けて城門をくぐり、トプカプ宮殿前の広場に出ると、「アヤ・イリニ・ミュージアム」があった。外観から、これがかつて正教会の教会堂であったことがわかる。中央のドームを中心にして、腕が張り出した様式である。中に入りたかったが現在は閉まっていて、特別な許可がないと入れないと、入場券売り場のような小屋の中の係員が言う。

・午前11時にホテルへ戻り、荷物を片づける。12時少し前にチェックアウト。これがこの旅を通じた最後のチェックアウトである。深夜の飛行機なので時間はたっぷりある。荷物はホテルに預けて、最後の訪問箇所にしたスレイマニエ・ジャーミー再訪に出かけることにする。



アヤ・ソフィアの修理現場、巨大なバットレスがこちらに飛び出ているIMGP6181.jpg

瀟洒な土産物屋通りIMGP6183.jpg

アヤ・イリニ・ミュージアムIMGP6187.jpg

アヤ・イリニの説明板IMGP6190.jpg

アヤ・イリニの平面図IMGP6191.jpg

アヤ・イリニ・ミュージアムの入口付近、入れない観光客がうろうろしているIMGP6192.jpg

路面電車のギュルハネ駅、よく利用しました、2つのタイプの電車IMGP6193.jpg


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最後の日、7つの塔の城塞、イスタンブール、8月29日(月)、くもり [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・6時起床。今回の旅の最後の日。めずらしく曇っている。7時に朝食をとって、8時前にホテルを出た。
 
 まず最初の予定は、鉄道を利用して「イェディクレの城塞」へ行くことである。これはイスタンブールの東側を護る城壁にいくつか設けられた門の一つを中心に、計7塔が城塞を形成しているものである。

・ところが、ガラタ橋のたもと近くにあるはずの始発駅「シルケジ駅」が見つからない。そこで挨拶を兼ねて、スパイス・バザール(エジプシアン・バザール)のサリ氏を訪ねて訊くことにした。彼は同僚のベイシールやオルハンと開店前の準備をしていた。

 tram(路面電車)ではなく、trainに乗りたいのだ尋ねると、tramのシルケジ駅の近くだと言う。そこで、そのあたりに戻ってよく探してみると、確かにtramの東側に小さいターミナル駅らしい構えの建物が見える。何回となく近くを通っているのに、いままでまったく気づかなかった。大都市のターミナル駅があんなに小さいとは。しかし、これは今までの東欧の首都でもあったこと。

・バスと共通の前払いのカードで列車の改札をくぐれた。遠距離列車ではなく、近郊路線の通勤電車のような電車に乗って、20分ほど待ってから出発した。
 発車してから5つ目の駅「イェディクレ yedikule」で降りて、歩いて3分で城塞に着いた。
 入場券を買って入る。7つの塔に囲まれて全体が5角形である。主門は「黄金門 golden gate」と呼ばれ、東ローマ帝国のテオドシウス帝が凱旋門を建設させ、それがイスタンブールを護る長い城壁の一部にとり込まれたものである。

・塔の内部にある螺旋階段で塔の上に登ったのだが、中は暗くて気味が悪い。囚人を入れる牢獄として使われたこともあったという。朝一番だったので、他に観光客もいない。
 一つの塔と他の塔とを繫ぐ城壁の上を歩くことができ、城塞全体をぐるっと一周できる。上からはイスタンブール市街やボスポラスの海が見えて眺めは最高だ。

 大きな赤いトルコ国旗がはためいているのが見える。他のところでも大きな国旗を目にしたが、いろんな民族は入れ代わり立ち代わり来て、国土も大きくなったり縮んだりした経験から、今現在はトルコ国であることを思い切り主張したいのかしらん。



鉄道のシルケジ駅、よく見るとヨーロッパの様式建築で立派IMGP6151.jpg


車窓から、ボスポラス海峡が見えるIMGP6153.jpg


イェディクレ駅IMGP6154.jpg


イェディクレ城塞IMGP6168.jpg


イェディクレ城塞の説明板IMGP6156.jpg


気味の悪い塔の中、井戸のよう、この階段を登ってきたIMGP6171.jpg


南にボスポラス海峡IMGP6173.jpg


北に金角湾と「旧市街」IMGP6177.jpg


大きなトルコ国旗が翻るIMGP6164.jpg


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透かし彫りと、イズニック・タイルの美しい2つのモスク訪問で1日が終わる、イスタンブール、8月28日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・モザイク・ミュージアムを出てから「ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミー」というモスクへ行くつもりであったが、どういうわけか先に「キュチュカヤ・ソフィア・ジャーミー」へ来てしまった。ここは地図には「Church(教会)」と書かれていて、もとは正教の建物である。

・中に入ってみると、建物は正八角形の平面形をしていることがわかる。このような点対称の平面形を「集中式」という。規模はそう大きくない。柱頭とその上に載る梁はかなり華やかである。石材に透かし彫りした柱頭もある。

 建物の軸線(入口かた奥へ向かうベクトル)とミフラーブの位置がずれている。正教の建物がのちにモスクに転用されて、正教の東西の軸線から少し南に振れた方向にモスクのミフラーブがつくられている。この軸線のずれ方が有名な「アヤ・ソフィア聖堂」に似ていることが理由だと思うが、このジャーミーは「小アヤ・ソフィア」と呼ばれている。

 入口の外部を覆う長方形の天蓋と、入口の右側に1本だけ立つミナレットは、構成の付加である。

 このジャーミーは欧米系の観光客が比較的多い気がする。この建物がもとキリスト教の教会堂であったことも理由であろうか。



キュチュカヤ・ソフィア・ジャーミーと銘板IMGP6128.jpg


同、外観、レンガ造の集中式の建物IMGP6130.jpg


入口部分を覆う天蓋IMGP6127.jpg


奥を臨むIMGP6116.jpg


ミフラーブは建物の軸線から少し右側(南)にずれているIMGP6112.jpg


柱と梁の透かし彫りIMGP6119.jpg


同上IMGP6119.jpg


ドーム見上げIMGP6117.jpg



・つぎのソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミーは坂の上にあった。

 明日はイスタンブール滞在の最終日であるので、スレイマニエ・モスクを再び訪れる予定をしているので、初訪問のモスクとしてはこのジャーミーが最後である。

・シナンの作品である。ミフラーブのある壁面とペンデンティブ(アーチ上方の曲面三角形)は、美しいタイルが貼られている。

 データ的な説明をすると、1572~72年にかけてのもので、ドームの径は22m、窓は56箇所、タイルはイズニック産、濃紺の地に白いカリグラフィー(装飾文字)が書かれている。

・ここでは、珍しく写真撮影はダメと言われた。そのかわりに絵はがき(12枚くらい)が10TLだという。写真をダメと言われる前に、知らずに数枚撮ってしまっていたし、寄付がわりもあって買った。
 美しいタイルが「売り」らしく、写真撮影を禁止しているものと思われる。



ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミーの銘板IMGP6132.jpg


同、正面IMGP6133.jpg


泉水の水道のノブがかわいらしいIMGP6136.jpg


ミフラーブ周りとペンデンティブのタイルがきれいIMGP6140.jpg


ミフラーブと説教壇IMGP6142.jpg


ミフラーブのタイルIMGP6143.jpg


ミナレットの露台も繊細な造りであるIMGP6145.jpg



・このジャーミーは、あまり観光客の来ない静かなところである。このジャーミーから出て、ブルーモスクの南から南西にかけての少し低くなったあたり地区には、小規模な安そうなホテルが多い。欧米系の人たちがたくさん歩いている。

・喧噪のブルーモスク、アヤ・ソフィア周辺を通り抜けて、ホテルに帰ったのが6時半過ぎであった。



ジャーミーは小高い丘にあるので、ジャーミー近くからはボスポラス海峡が見えるIMGP6147.jpg


ラマダン時期の臨時商店街IMGP6148.jpg 


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墓地からの帰り道と、トルコ・イスラム・ミュージアムとモザイク・ミュージアム、イスタンブール、8月28日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

墓地からの帰りは、坂道を下るのでわかりやすい。行くときに道を誤ったのは、どうも地図の道路標示に間違いがあったようだ。


・再々度イエニ・ヴァリデ・ジャーミーに立ち寄ると、今度は開いていた。銘板による正式名は「Valide‐i Cedid (Yeni) Camii」。
 平面形は比較的単純で、規模はまあ中規模か(中の小)。しかし、ドームは高くて大きいので垂直感が強い。ミフラーブの周りのみタイル仕上げ。他の部分の壁面は、上半分に絵が描かれており、下半分は石のまま。

 12時30分の帰りのフェリーに乗った。一旦ホテルに帰る。


・午後2時にホテルを出た。午後はまず、ブルーモスク北側の「トルコ・イスラム・ミュージアム」へ行く。展示はあまり多くなく助かった。昨日今日と歩いたので歩き疲れた。思えば、この一か月間、土曜も日曜もなく歩き回っている。明日は月曜日なので、ひょっとするとミュージアムは休みかもしれないと思ったのである。
 トルコ・イスラム・ミュージアムは3時40分に見終わって、休憩。


・つぎはブルーモスクの裏(南)にある「モザイク・ミュージアム」へ。東ローマ帝国(ビザンチン)時代のオリジナルのモザイク(建物の床に貼られていたようだ)で、6世紀後半のものらしい。遺跡の状態で保存され、周りの歩道を歩くようになっている。モザイクは大ぶりなので、見やすくて疲れない。
 30分ほどでここを出て、つぎの目的地のモスクへ向かう。



墓地からの帰りの下り道IMGP6072.jpg

イエニ・ヴァリデ・ジャーミー(正式名ヴァリデ・イ・チェディド・(イエニ)ジャーミー)IMGP6074.jpg 


同、内部、ミフラーブの緑色の照明が珍しいIMGP6077.jpg 

同、ドーム見上げIMGP6078.jpg

トルコ・イスラム・ミュージアムIMGP6081.jpg

同、コレクション、コーランIMGP6088.jpg

同、コレクション、絨毯IMGP6098.jpg

同、コレクション、浅浮彫(棟方志功の版画を思い出す)IMGP6087.jpg

同、コレクション、本の収納箱IMGP6099.jpg

同、コレクション、ブルサ地方の19世紀の日常生活IMGP6105.jpg

トルコ・イスラム・ミュージアムの2階のテラス、風に吹かれてここでしばし休憩、向うに見えるはブルーモスクIMGP6100.jpg

ブルーモスク裏(南側)の土産物屋通りIMGP6106.jpg

モザイク・ミュージアムのコレクション、モチーフやデザインに、もとローマ帝国であり、地中海文化の一員であることを感じるIMGP6108.jpg

同上IMGP6109.jpg






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墓地に向かって坂を登る、イスタンブール、8月28日(日) [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・今日は、ウシュクダル地区のいろんなジャーミー(モスク)を訪ねることも目的の一つだが、丘を登った先にある大規模な墓地に行くのも予定に入っている。
 ル・コルビュジェは、異様とも思える関心を墓地に対して抱いていて、イスタンブールではもとより、それ以前の東欧を通過する際にもたびたび日誌に書いている。


・その墓地に向かう前に、先程は閉まっていたイエニ・ヴァリデ(Yeni Valide)・ジャーミーへ再度立ち寄るも、10時20分現在でもまだ閉まったままだ。そのまま少し庭にいて待ってみることにする。
 この庭には、子猫を含めノラ(屋外飼い?)猫が数十匹。ネコおばさんが餌をやっている。イスタンブールの他のところでもネコはよく見かけたが、この街ではネコは公共のものらしい位。ネコと違って、犬はやにやら邪険にされているようで、嫌われているように思える。


・ジャーミーがあいかわらず開かないので、墓地に出発する。ゆるい坂を30分登る。地図では大きな墓地が突き当りにあるはずなのに、それらしいのがない。道を正確に辿ってきたはずなのに。店のおじさんに墓地を尋ねたら、少し西側にあるという。10分ほど西に向かって歩いたらゲートに着いた。並行しいる2本の道の間違った方を辿ったらしい。

 入口の横の路傍に花売りがいたりして、お参りの人が結構いる。丘の頂上に入口がある広大な墓地は、南に向かってゆっくり下りながらどこまでも続いている。
 墓石は新しい現代的なものが多くて失望する。古い墓石は石造で、頭の方が太くなっているスリコギのような形で、てっぺんはトルコ帽のような形で終わっているものが多い。文字もアラビア文字が彫られている。しかしここの墓石の多くは、板のような形で、ラテン文字で名前が刻まれている。
 金角湾の奥にある「ピエール・ロティ・カフェ」からの帰り道に沿って多数の古い墓石が並んでいたが、そこの方がはるかに風情があった。コルビュジェもこの小道をスケッチしている。


・墓地は広くて、向うの端が見えないし、墓石にも興味がそそられないので途中で引き返し、入口近くに建てられているモダンなモスクに入ることにする。コンクリートでできたこのジャーミーもそれなりに美しかった。



坂の登り口にあった「ミマール・シナン」を冠した市場(バザール)IMGP6052.jpg


墓地IMGP6064.jpg


墓地の現代的な墓石IMGP6063.jpg


古い墓石も少しあるIMGP6057.jpg


新旧の墓石の対比IMGP6055.jpg


墓地内の現代的なジャーミーIMGP6053.jpg


ジャーミー全景、ミナレット(塔)がロケットのようだIMGP6054.jpg


ジャーミーのファサードと泉水IMGP6065.jpg


ミフラーブと説教壇IMGP6067.jpg


説教壇と2階席(女性席?)IMGP6068.jpg


ドーム見上げIMGP6070.jpg


アラビア文字による装飾的な書体の解説かIMGP6071.jpg




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ウシュクダルへフェリーで渡る、イスタンブール、8月28日(日)、晴れ [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・7時起床。8時20分にホテルを出て、今日はウシュクダルへ行く。ウシュクダルはイスタンブールのアヤ・ソフィアなどが集まった「旧市街」からボスポラス海峡を渡ったアジア側である。アジアの最西端。

 金角湾を北に渡った地区が「新市街」なので、イスタンブールは大きく3つの地区に分かれている。むかし、「ウ~スクダラ、は~るば~る来てみてみやしゃんせ~、とかなんとか・・・」という歌が流行ったが、ついにそこへ行く。
 
 30日に日本へ発つので、ウシュクダルへ渡るのは今日か明日しかないし、また、イスタンブールの3つの地区のうち、まだ行ってない最後のところだ。もちろんコルビュジェは訪れている。


・8時40分発ウシュクダル行きのフェリーに乗った。9時ちょうどにウシュクダル港に着く。目の前にシナン作のミフリマー・ジャーミー(Mihrimah Camii)があるので、まずそちらに行くことにする。
 このジャーミーは小規模である。ガイドブックによると、シナンの初期の作である。内部の壁には、漆喰の上に模様が描かれている(全面にではない)。ストラクタイト(鍾乳石のような装飾)が使われているが、シナンの作品に多いので、これは彼の特徴か。



フェリーに乗ってウシュクダルへ、「旧市街」をあとにするIMGP5982.jpg


ボスポラス海峡から、「新市街」とウシュクダルを結ぶ橋、日本の企業が造ったとかIMGP5993.jpg


ウシュクダル港IMGP5994.jpg


ミフリマー・ジャーミーの銘板、シナン作、とあるIMGP5996.jpg


ミフリマー・ジャーミー内部IMGP5999.jpg


ミフリマー・ジャーミー内部、ミフラーブと説教壇IMGP6001.jpg


ミフリマー・ジャーミーのドーム見上げIMGP6002.jpg


ミフリマー・ジャーミーのストラクタイトIMGP6009.jpg


ミフリマー・ジャーミーのステンド・グラスIMGP6005.jpg



・つぎに行ったヴァリデ・イエニ・ジャーミー(Valide Yeni Camii)は10時から開くと書いてあるが、あとまだ10分あるので、先にシナンのセムシ・アーメド・パシャ・ジャーミー(Semsi Ahmed Pasa Camii)に行った。ここも閉まっていたのだが、ガードマンに訊くと祈りの時間の13時から開くとのこと。広くもない庭を少しぶらぶらしていたら、どういうわけかドアが開けられ、中へ入れてくれた。
 ごく小規模なシナンの作品である。彼らしく、構成がカッチリしている。左隣りにパシャの棺が納められた建物がくっついている。2TLの寄進をしてここを辞した。


ヴァリデ・イエニ・ジャーミーIMGP6028.jpg


ヴァリデ・イエニ・ジャーミー内部、ごく小規模なモスクIMGP6034.jpg


ヴァリデ・イエニ・ジャーミーのドーム見上げIMGP6039.jpg


ヴァリデ・イエニ・ジャーミーに隣接して小さな廟があるIMGP6042.jpg


ヴァリデ・イエニ・ジャーミーの美しいステンド・グラスIMGP6045.jpg


同上IMGP6047.jpg


同上IMGP6048.jpg





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地元の人の行くレストランへ、サリ氏たちと、イスタンブール、8月27日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・そういえばヴァリデ・ジャーミーへ行く途中、歩道からジャーミーを遠望して写真を撮る準備をしていたところ、サラリーマン風の男性が私の脇を通り過ぎざま、「ジャパン?」と訊くので「イエス!」と応えると、その男は「ジャパン、グッド!!」と親指を立てて過ぎて行った。なんだかわからなかったが、嬉しい気持ちだった。
 あんな単純な挨拶(?)でもとても気分のいいもので、記憶に強く残っている。


・午後7時30分に、待ち合わせ場所であるエジプシアン・バザール(スパイス・バザール)に行く。例のサリ氏に、これまでのお礼にと食事を誘ったのだが、彼は同僚のベイシール氏との約束があったので、それならと3人で食事に行くことになったのだ。

 タクシーで、ヴァレンス橋遺跡の北西側に位置するレストランに連れて行ってもらう。なじみのレストランらしく、当然地元の人しか行かないところである。2階に上がって予約の席につくと、テーブルには料理が置かれているのだが、まわりのテーブルの客もすべてじっとしている。本日は午後7時55分であるラマダン明けの時刻が来るのを待っているのである。

 15分くらい待って明けの時刻になると、すべての客が一斉に食べ始めた。ラム肉を中心とするどこやらの地方(忘れた)の料理を中心とするレストランである。 肉の他に、ヨーグルト、スープ、ザクロの果汁がかかったサラダ、肉のパイ、中にブドウなどを詰めた米を炊き込んだうえカップ型に焼いたもの。非常においしいが量が多い。


・周りの客は食べるスピードが早い。ベイシール氏は特に早い。ラム肉は土の中に埋めた壺の中に吊るして遠火で焼いて油を抜いたものだが(レストランに写真があった)、その肉を厚めのピザ生地のようなもの(ナンのようなもの)の上に載せてある。生地は上下にあるので、なおさら量が多くなる。(3人で110TL=6000円)。

・ベイシール氏の寡黙な性格もあるのか、話をほとんどせずに黙々と食べる。我々だけではなく他のテーブルの客も同様で、あまり話し声が聞こえず、食べ終わるのが早い。家族連れでも早い。
 思い起こせば、この人びとは日の出から何も食べていないのだった。そして1日働いてきての、今日初めての食事だった。


・レストランを出たあと、近くの露店の店でチャイを飲む。セイロンから輸入の茶葉とかで、他の店よりうまいと言うが、正直なところ私は差がわからなかった。
 茶店の近くのパン屋のパンがおいしいとのことで、ベイシール氏は私の分まで買ってきてくれた。

・ベイシール氏と別れ、サリ氏と二人でタクシーに乗り、私はシルケジ駅で降りてトラムでホテルまで帰った。サリ氏はそのままタクシーで郊外の自宅まで(当然タクシー代は渡しておいたよ)。 

・本日の感想・・・食事中はあまり会話をしないのか? ラマダン明けなので特別、懸命に食べていたのか? 明日仕事があるので、早く食べていたのか? そのあたりは不明。
 
 そういうような食事事情であったので、行儀上と時間上とで、とても写真を撮れませんでした。乞ご容赦。
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続いて3つのモスクを訪れる、イスタンブール、8月27日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・イスラム名を頂いたシェフザーデ・ジャーミーを辞して、近くのヴァリデ・ジャーミー(Valide Camii)へ向かう。外観から、この建物はビザンチンの教会堂を転用したもののようである。内部の壁一面に絵が描かれており、すごく華やかな感じだ。

 ここでは、モスクの人に2階に上げてもらった。通常のモスクのような木造の台という感じではなくて、しっかりした2階ギャラリーであった。この点でも、これがもとはキリスト教の教会であったと思わせる。

 コルビュジェが描いたこのジャーミースケッチは「Mosque Validli」と書かれているが、窓や天井はまったく別物だ。「Validli」という名前の別のがあるのか、コルの記憶違いか・・・いまのところわからない。



地下横断路を通ってヴァリデ・ジャーミーへ、中は自転車屋さんの自転車でいっぱいIMGP5929.jpg


ヴァリデ・ジャーミー遠望IMGP5930.jpg


ヴァリデ・ジャーミーIMGP5937.jpg


ヴァリデ・ジャーミー正面IMGP5931.jpg


ヴァリデ・ジャーミー内部IMGP5943.jpg


ヴァリデ・ジャーミーのドーム見上げIMGP5940.jpg


ヴァリデ・ジャーミー、2階ギャラリーIMGP5945.jpg


ヴァリデ・ジャーミーの2階からIMGP5948.jpg



・ここからまた歩いて数分のラーレリ・ジャーミー(Laleli Camii)へ行く。平面は小規模。中央のドームを、周りの6個の1/4ドームと2個の1/2ドームが支える構造。内部の壁面の下半分は大理石で、上半分は彩色壁。
 コルが「Validli」とするスケッチは、このラーレリに近いようにも思うが、窓の数が違う。


ラーレリ・ジャーミーIMGP5961.jpg


ラーレリ・ジャーミー外観IMGP5955.jpg

ラーレリ・ジャーミー内部IMGP5963.jpg


ラーレリ・ジャーミー、ドーム見上げIMGP5965.jpg
・つぎに、再度ベヤジット2世・ジャーミー(BeyazitⅡ Camii)へ。中規模の建物だが、シナンの作品は空間の奥行きが深い。大きな柱4本で支えられている印象だが、北西-南東方向の軸線上には、各柱の間に円柱が入る。


・帰りにグランド・バザールの中を通ってもう一度ヌル・オスマニエ(Nuruu Osmaniye)・ジャーミーに行った。工事中で中に入れないのはわかっていた。しかし、コルビュジェのスケッチにあるシーンが外から伺えるかもしれないとの期待をもってのことだったが、柵の外からはそれらしいところは見えなかった。


ベヤジット2世・ジャーミー前の広場、ラマダン関連の出し物の練習IMGP5969.jpg


ベヤジット2世・ジャーミー、ミマール・シナン設計IMGP5974.jpg


ベヤジット2世・ジャーミー内部IMGP5971.jpg


ベヤジット2世・ジャーミー、墓石の頂部かIMGP5972.jpg


















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イマームにイスラム名をもらった、イスタンブール、8月27日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・シェフザーデ・ジャーミーは、あのミマール・シナンの作である。内部の構造は、4本の柱の上にドームを載せ、各柱の周囲の幅が狭いので、空間の一体感が強い。また、先端の尖ったアーチの赤白のゼブラ模様が美しい。

・ジャーミーの中に入って、イマーム(宗教指導者)の部屋(「Imam Odsi(Imam’s Room)」)の横手に坐っていたら、部屋の中からイマームが出てこられて、片言の日本語で話しかけてこられた。白いゆったりとした服を着て、白くて長いヒゲをたくわえた、見るからに立派な方で、名刺を渡された。
 イマームはそのままミフラーブの方へ礼拝に行かれ、しばしの礼拝の後、再び私のところに来られた。話によろと、東京のイムラム・センターに居たことがあり、日本語はし少しわかるとのこと。

 私にイスラミック・ネーム(イスラム名)を付けてあげよう、と突然言われ、「ムハンマド(マホメット)」とおっしゃった。私がノートに綴りを書いてほしいとお願いすると、イマームの部屋に招き入れて、「MUHAMMED」と書かれた。アラビア語でも書いてほしいというと、もう一人のイマームにその旨を伝えて、そちらのイマームがアラビア語綴りでノートに記して下さった。
 その間、小さい子供を連れたお母さんが、イマームに子供を抱いてもらって、その写真を撮っていたりで、イマームが敬愛されている様子がよくわかるのだった。



シナン設計のシェフザーデ・ジャーミーIMGP5908.jpg


シェフザーデ・ジャーミー外観IMGP5909.jpg


シェフザーデ・ジャーミーIMGP5915.jpg


ドーム見上げIMGP5917.jpg


皆で祈る時間、遠くの白い服装の立ち姿がイマームIMGP5915.jpg


イスラム名を下さったイマームIMGP5916.jpg


皆で祈る時間が終わった後、一人で祈る男、いい光景だIMGP5918.jpg


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6個のドームが連なるモスクへ行く、イスタンブール、8月27日 [旅、バックパック、建築家ル・コルビュジェ]

・小規模でさしたる特徴もないカシム・パシャ・ジャーミーであったが、この近くにピヤリ・パシャ・ジャーミー(Piyale Pasa Camii)があるとの意味のことを、ル・コルビュジェが日記に書いている。
 コルが言及しており、歩いて20分程度ならぜひ行こうと思って歩き始めた。しかしこれはひどい行程だった。コルの時代と異なって、現在は片道4車線の幹線道路の横の歩道を歩かねばならなかった。

 辛い思いをしてしばらく歩いていると、多くのドーム屋根が並立するという、イスタンブールにあるモスクにしたらあまり見なれない形が目に入ってきた。もう少し歩いても見つけることができなかったら諦めようと思っていたが、まさにこれが目的のモスクだった。

 このジャーミーは前後2つのドームの組が横に3連並んだ6つのドームを持つという興味深い形態である。


・ピヤリ・パシャ・ジャーミーを見学して帰りの途についたが、歩くにはあまりに苛酷な道なので、バス停でバスを待っていると、うまい具合にすぐにバスが来た。今朝サリ氏に買い方を教えてもらって購入したプリペイドのバス・カルテが役立った。イスタンブールの路線バスは、すべてプリペイドのカードで料金を払う方式になっており、現金では払えない。

 乗ったバスがいかなるルートを走るのかわからないまま乗ったのだが、南の方にある金角湾の海の方に下って進行してるので、とんでもないところには出ないだろう。

 バスの中で地図を見ていると、後ろの席の人が、今はここで、この方向に向かっている、終点はここだ、と教えてくれる。アタチュルク橋を渡って、ヴァレンスの水道橋を過ぎたあたりでバスを降りた。このあたりまで来たのなら、シェフザーデ(Sehzade)・ジャーミーをもう一度見たくなったのだ。



ピヤリ・パシャ・ジャーミーのネーム・プレートIMGP5896.jpg


ピヤリ・パシャ・ジャーミーの外観、6つのドームが連なるIMGP5902.jpg


ピヤリ・パシャ・ジャーミーの内部、ドームが連続するダイナミックな姿IMGP5890.jpg


背の高いミフラーブと説教壇IMGP5891.jpg


本堂の周りには回廊が廻るIMGP5898.jpg


回廊IMGP5895.jpg


ピヤリ・パシャ・ジャーミーへの暑くて苛酷な道IMGP5905.jpg
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